パンの歴史

 

 

年代
国内外の動き
山梨のパンの歴史
1945年

(昭和20年)広島・長崎に原爆投下

ポツダム宣言受諾

政府、GHQに食料435万トン輸入要請

戦前はイーストが無くジャガイモをすり潰し醗酵させて酵母として代用したり、ホップを発酵させホップ種を代用したり、どぶろくの酵母を代用したりしてパンを焼いていた

 

※白木町にあった辻パン店が軍隊にパンを納入していた当時のパンは硬いものであった

 

※当時のパン作りは種つぎをして作っており醗酵に時間がかかった窯は石窯で両そでに炊き口のあるものでダルマと呼ばれていた

1946年 (昭和21年)日本国憲法公布  
  ガリオア資金による学校給食が開始  
1947年 (昭和22年)パン食普及のため、七大都市の家庭にベーキングパウダー200gを配給する (昭和22年)甲府市内の小学校で放出物質による週2回の補食給食が開始され、順次郡部でも実施されるようになった

昭和22年頃の給食メニュー
1948年 (昭和23年)この頃より食糧事情が好転し始める
1949年

(昭和24年)湯川秀樹ノーベル物理学賞受賞

1950年 (昭和25年)米以外の主食のパン等を自由販売する

(昭和25年)この頃、パン屋の従業員は、住み込み3食付きで月給千円位だった

 

一部ではあったがイーストでパンを作り始める

1951年 (昭和26年)対日講和・安保条約調印

甲府市内の学校で県下初の完全給食が開始された

 

小麦粉の統制が外れる

 

砂糖の統制が外れる

 

※統制組合に加入していないと配給されなかったため誰でもパンやお菓子をつくれなかった

 

※又、砂糖は貴重品であったためズルチンやサッカリンを使用し甘味を補っていた

1952年 (昭和27年)学校給食を全国小学校に拡大実施  
1953年 (昭和28年)NHKテレビ放送開始

冷害対策によるユニセフの無償ミルク給食が開始された

 

1954年


学校給食法が制定され、県下各地域で学校給食を開始するようになった

 

冷害対策にともなうパン・ミルク給食が開始された(特に北巨摩郡下)