パンの歴史

 

 

年代
国内外の動き
山梨のパンの歴史
1975年 (昭和50年)ベトナム戦争終結

 

  リジン騒動発生  
  アメリカの大豊作で外麦大暴落  
1976年 (昭和51年)ロッキード事件  
  全日本ベーカーズフェア  
  食糧庁より標準パン(150円)の確保要請  
1977年 (昭和52年)中小企業分野調整法公布  
  独占禁止法改正案成立  
  小麦粉の全面的無漂白を実施  
1978年 (昭和53年)第二次石油ショック

職業訓練指導員(製パン技能士)の資格制度始まる

  成田空港開港 現理事長・今澤氏が一級技能士資格取得で技能検定員となる
1979年 (昭和54年)臭素酸カリウム問題論議おこる  
  パン流通構造調査委員会発足  
1980年 (昭和55年)即席めん、輸入自由化 山梨でもセルフスタイルのパン屋が出来て人気となるそれ以前は対面販売だった
  臭素酸カリウムが使用中止
昭和55年頃セルフスタイルのパン店が人気
1981年 (昭和56年)パン生産量120万トン(粉換算)突破
1983年 (昭和58年)東京ディズニーランド開園 個人経営のパン店でフランスパン専用窯が導入され始める
  「おしん」ブーム 早朝作業を軽減するためのドゥ・コンディショナーが県内のパン屋に導入され始めた
  労働省、製パン技能者検定制度開始  
1984年 (昭和59年)新パン科学会館完成(東京・西葛西)  
     
    昭和55年頃・セルフスタイルのパン店が人気